礼拝
長尾なつみ
常盤台バプテスト教会 2022.2.20 主日 「主が共に歩まれる道」長尾なつみ牧師 【ルカによる福音書24章13~35節】(新共同訳 新約P.160-161)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。
- 礼拝プログラム
- 前奏 奏楽者
招詞 ヨハネによる福音書14章6節 司式者
祈祷 司式者
賛美 544番 ああ嬉しわが身よ 1、2、3節
聖書 ルカによる福音書24章13~35節
特別賛美 "たとえばわたしが"
宣教 「主が共に歩まれる道」 牧師 長尾なつみ
祈祷
賛美 73番 善き力にわれ囲まれ 1、2節
献金感謝 司式者
祝祷
後奏 - 宣教概要
- キリストを信じる私たちは、本当に苦しい時や不安な時、またはどうしていいか分からないように、おろおろしてそこから逃げ出してしまいたい、遠いところへ行ってしまいたいと思っている時にこそ、イエスさまに出会っているのではないかと思います。特に身近な愛する人を天に送ったときなど、自分ではどうすることも出来ないような闇の中にいるような時、その闇の中にいる時には、イエスさまに出会っていることやイエスさまが共に苦しみ共に歩いてくださっていることには気付くことができないのかもしれないと思います。この二人の弟子がイエスさまと一緒に歩きながらエマオへと向かうこの場面を読むたびに、この二人の弟子の姿に、私自身の姿も重ね合わせています。ある時期が来て振り返った時に、実はあの時に確かにイエスさまが共におられた、そのような経験がきっと皆さんにもあるのではないでしょうか。
彼らは、目指す村エマオに着きました。しかし旅人イエスさまは、なおも先へ行こうとされたので、彼らは無理に引き止めました。彼らはもっとイエスさまのお話を聞きたかったのでしょう。その思いを受けとり、イエスさまは彼らと一緒に泊まるためにその家に入られました。そして夕食の席についたとき、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになるそのしぐさを見た時、彼らの目が開かれました。その姿は、ほんの数日前にあった彼らの日常的な光景だったのでしょう。
彼らは十二弟子ではないので、最後の晩餐の席にはいなかったとしても、ルカ福音書の記述にあるように、5000人以上の人たちにパンと魚を分け与えた奇跡を目の当たりにし、そして自分たちも一緒に食事をしたことを思い出しました。そして徴税人ザアカイと一緒に食事をしたように、人々から蔑まれたり、嫌われたり、追いやられてしまって肩身の狭い悲しい思いをしている多くの人々と共に生きてこられた、その姿がいくつも思い出されたことでしょう。そこで、彼らの目が開かれ、イエスさまだとわかりました。絶望のどん底にいた彼らが、戸惑いと恐れのなかで、「イエスは生きておられる」という言葉を信じられないでいる彼らが、今、目の前で一緒に食事をしているまさに「生きている」イエスさまに出会ってしまったのです。聖書には、「…イエスだとわかったが、その姿は見えなくなった」とあります。しかし二人は語り合いました。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と。そして彼らは、時を移さず、夕方でこれから夜になるにもかかわらず、眠ることも忘れて、今来た道を戻り始めました。さっきまで、十字架の出来事があったあのエルサレムから遠い方向へ、逃げるように向かっていた二人は、翻って、十字架の出来事のあったエルサレムへと戻っていくのです。そして今度は彼らが、いまだ戸惑いと恐れの中にいる仲間に語り出します。「本当に主は復活した」と。信じられなかった、「イエスは生きておられる」という言葉は、真実であったと。